吸えない環境づくりが最大の禁煙支援
近年、健康増進法の改正により学校や医療機関、行政機関の敷地内禁煙化などの受動喫煙対策が進み、禁煙補助薬を用いた薬物療法が保険診療で認められるようになるなど、禁煙を巡る社会環境は大きく変化しています。そうしたなか、喫煙が術後の合併症やがん治療などに及ぼす影響が次第に明らかとなり、各方面で禁煙支援の整備が進められています。一方で、急速に普及しつつある新型タバコ(加熱式タバコ、電子タバコ)による健康リスクや周囲への影響が新たな懸念事項となっています。今回は京都大学大学院医学研究科特任教授の髙橋裕子先生に、二次喫煙・三次喫煙や新型タバコのリスクに関する最新の知見、さまざまな領域で進む禁煙支援の取り組みについてお話しいただきました。
二次喫煙、三次喫煙を防ぐ手段は禁煙のみ
喫煙は本人だけではなく、周囲の人にも影響が及ぶことが問題です。二次喫煙だけではなく、最近は三次喫煙という言葉も聞きますが、吸わない人へのタバコの害を考えることも重要ですよね。
まず、喫煙者が吸い込む煙を主流煙、喫煙者が吸ってから吐き出す煙を呼出煙、火が付いたタバコから立ち上る煙を副流煙といいます。タバコを吸っていなくても、呼出煙と副流煙にさらされることを「二次喫煙」や「受動喫煙」といいます。問題となっている受動喫煙ですが、日本だけで副流煙により年間1万5千人が死亡していると推計されています。この数字は受動喫煙との関連が明らかとなっている肺がん、虚血性心疾患、脳卒中、乳幼児突然死症候群(SIDS)の4疾患についてのみの推計なので、実際の健康被害はさらに深刻だと考えられています。
受動喫煙対策として「屋外や自分の部屋にこもって吸えばいい」という人がいますが、それでは解決になりません。実測値に基づき作成されたシミュレーションでは、それを裏付ける知見が得られています(図1・図2)。企業などの禁煙室は中向きに0.2 m/秒で風を送る設定になっていますが、喫煙室から人が出るたびに空気が漏れる様子が見て取れます(環境シミュレーション社調べ)。換気扇の下で吸った場合も、同様に煙が漏れることが分かっています。これらの煙の漏れは決して微量ではありませんし、たとえ微量であっても受動喫煙は有害です。
たとえば、子どものいる家庭では、ベランダや換気扇の下で吸えば大丈夫と言いながら吸っている親御さんがいるようですが、そうした対策は、受動喫煙の防止にはなっていないということですね。
換気扇の下やベランダで吸っても受動喫煙の防止にはなりません。換気扇はよほど近接して煙を吐き出さない限り煙が漏れますし、ベランダも吸った後に窓を開け閉めしますし、サッシの隙間から室内に煙が入ります。
さらに、近年はタバコの火が消された後に残留する化学物質を吸入する「三次喫煙」(サードハンド・スモーク)についても指摘されています。三次喫煙による健康への影響については現在研究が進められているところですが、タバコ由来のニコチンや化学物質は喫煙者の髪や衣服、室内のソファやカーテン、カーペットなどあらゆる場所に付着し、残留します。こうした部屋で長時間過ごさなければならない乳幼児への影響が懸念されています。このような受動喫煙や三次喫煙を防ぐ方法は、タバコの煙を発生させないこと、つまり禁煙です。
図1 喫煙室から人が出ると煙が漏れる
提供:株式会社環境シミュレーション
図2 喫煙室から人が出るときの空気の流れ(背後から見たとき)
提供:株式会社環境シミュレーション
加熱式タバコも電子タバコも有害に変わりなし
電子タバコなどに切り替えることは禁煙になるのでしょうか。
加熱式タバコは、タバコの葉を加熱して、約300℃の低温で蒸し焼きにして、出てくる蒸気を吸うというものです。電子タバコは、リキッドと呼ばれる液体を加熱して吸い込みます。加熱式タバコはたばこ事業法の枠の中にありますが、電子タバコは玩具という扱いです。受動喫煙防止が叫ばれるようになった2011年ごろから、海外ではリキッドにニコチンを含有する電子タバコが爆発的に売れるようになりました。一方、日本ではニコチン入りの電子タバコは薬事法違反となります。つまり、日本では海外のようにニコチン補給ツールとしての電子タバコは発売することができませんでした。
そこに2014年に入ってきたのが加熱式タバコです。米国ではFDA(米国食品医薬品局)の安全基準を満たさなかったため販売許可が下りませんでしたが、電子タバコが流通していない日本では爆発的に流行し、平成30年度の国民栄養健康調査でも喫煙者のおよそ3割が使用していると報告されています。
日本では加熱式タバコが爆発的に売れたということですが、従来の紙巻きタバコに比べて健康への影響は少ないのでしょうか。また、FDAでは販売許可が下りなかった理由について、教えてください。
加熱式タバコには、有害物質を「90%カット」「95%カット」といった宣伝文句が謳われていますが、実はこの謳い文句にはトリックがあります。有害物質のうち測定しているのは9種類のみで、そのなかには火を付けない限り出てこない一酸化炭素や二酸化炭素が含まれているのです。つまり、計測値がゼロになるものが2種類入っているため、計測値の平均値がぐっと下がるわけです。また、加熱式タバコについて、FDAが発がん性物質だけを取り出して独自に調べたところ、紙巻きタバコと同程度あるいはそれよりも多い製品も見つかりました。主流煙に含まれるニコチンに関しては、紙巻きタバコとほぼ同程度のものもあります。WHO(世界保健機関)も、加熱式タバコは発がん性物質を含む可能性があるので吸わないようにと提言しています。
一方、電子タバコについては、ニコチンが含まれているものは日本では販売できないことになっていますが、実際にはニコチンが含有されているものが半数に上るという調査結果があります。喫煙者が吸ってニコチン切れを生じないなら、ニコチンが入っていると考えて差し支えないでしょう。
さて、この電子タバコの危険性については、大きく3点あげることができます。
まず、多くの電子タバコにはグリセリンと香料が入っています。グリセリンも香料も食品に含まれますが、加熱すると細胞毒性を持つ可能性が指摘されていますので、決して安全ではありません。個人輸入されたもののなかには、マリファナなどが含有されていることもあります。このように得体の知れないものが入っているというのが電子タバコの一つ目の危険性です。二つ目に、発がん性物質も含まれているという点です。三つ目に、2019年に米国で大問題となりましたが、マリファナを溶かし込むために用いられた薬剤が肺損傷を引き起こすことが明らかとなり、香料入りあるいはマリファナ入りの電子タバコの販売は禁止されました。このように、電子タバコは決して安全なものではありません。
電子タバコについては海外でも流行していることから各国の研究機関で研究が進められていますが、加熱式タバコについては世界のシェアの7~8割を日本が占めているため、まだ研究分析が十分に進んでいないのが現状です。
周術期、治療前の禁煙が治療成績を左右
近年、術前の禁煙が術後の合併症の頻度を減少させて創傷治癒改善をもたらすことなどが明らかとなってきているようですね。
喫煙が手術患者に与える影響が明らかになるなか、日本麻酔科学会は2015年に『周術期禁煙ガイドライン』、さらに2021年には『周術期禁煙プラクティカルガイド』を発表しました。
周術期における喫煙のリスクとしては、大きく分けて三つあります。一つ目が肺炎や心筋梗塞、血栓症など術後合併症の増加です。二つ目が、傷口の治りが悪いという創傷治癒の遅延。三つ目が術後痛の増強、慢性化です。
通常、麻酔科の先生が患者さんに接するのは手術の1週間前からですが、それでは遅すぎるということで、京大病院では手術予定の患者さんを禁煙外来に紹介し、術前に禁煙を促す取り組みを行っています。
今、注目されているのは、治療前の禁煙です。手術に限らずがんの化学療法や放射線治療、降圧治療などさまざまな治療に喫煙は影響します。これらの治療を始める際に、禁煙していただくことが重要です。
ミクロ、マクロレベルで進む禁煙の動き
毎年5月31日はWHOが定めた世界禁煙デー、毎年5月31日~6月6日は厚生労働省が定めた禁煙週間です。この禁煙週間に各自治体がどのように禁煙に取り組んでいるのかを調べてみたところ、コロナ禍ということもあったかもしれませんが、2021年は啓発ポスターを掲示するだけという自治体が多いという印象でした。しかし、日頃から積極的に禁煙を推進する自治体もあると聞きます。ユニークな取り組みをしている自治体について、例を挙げてご紹介いただけますでしょうか。
各自治体で禁煙を推進するためにさまざまな工夫がなされています。例えば、和歌山県は日本で初めて学校敷地内禁煙を県単位で施行しました。また、奈良県では喫煙後は県庁舎のエレベーターの使用を控えるように呼び掛けるなど、受動喫煙、三次喫煙の予防に向けた取り組みが行われています。
奈良県の生駒市庁舎において、喫煙後45分間は、肺から有害物質が放出されて周囲に拡散されるためエレベーター使用が禁止されたというのは、画期的な取り組みですね。やはり、日本で初めて禁煙外来が設置された県ということで、奈良県の人たちは禁煙意識が高いのでしょうか。
喫煙後45分は有害物質が出続けていると言われていますが、学会発表ではさらに長く出続けているというデータもあります。
そして奈良県ですが、ここ10年ほど男性の喫煙率が全国で一番低い県なのです。喫煙率が低くなった目覚ましい動きとしては、2004~2006年に実施された小学校1年生への喫煙防止教育がひとつの要因だとの指摘があります。奈良県下の全ての小学校1年生に絵本教材を配布し、学校でその絵本を使って喫煙防止教育を実施するとともに、受動喫煙や禁煙方法について書かれた副読本を家庭に持ち帰って、家族でタバコについて話し合ってもらうことをひとつの目的としました。これが結果的に親御さんへの教育にもなったわけで、その世代が今の40代~50代を構築しています。
また、世界的な取り組みとしては、2020年にWHOが「たばこを止めるべき100以上の理由」を公表しましたが、そのなかで1番目に挙げられているのが新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による重症化および死亡リスクの増大です。COVID-19に罹患したときに、喫煙者または喫煙経験のある人の方が重症化しやすいというのはエビデンスと言っていいレベルになってきました。その他、理由の上位を占めるのは外見への影響ですが、環境への影響といった私たちが普段あまり考えないような項目も含まれています。そして、2022年の世界禁煙デーのテーマは「Tobacco:Threat to our environment(タバコ:環境への脅威)」です。
私は、この「環境」という言葉を、タバコを耕作することによって食糧の耕作が減る、あるいはタバコの葉を乾燥させるために森林が破壊されるといったマクロの観点からだけではなく、もっと広く捉えていきたいと思っています。ミクロの環境、つまり自分自身の身体への影響、そして自分の周りの環境です。その観点からも、吸えない環境をつくって禁煙を促し、受動喫煙を防止することが非常に大事なことだと思います。
高橋先生は日本禁煙科学会の理事長でいらっしゃいますが、学会としてはどのように禁煙を推進していかれるのでしょうか。
日本禁煙科学会は、故 日野原重明先生から「禁煙というのはサイエンスに基づいて知識を広め、サポートを提供し、粛々と進めるものなので、禁煙科学会という名前にしなさい」と名前を付けていただいて生まれた学会です。
禁煙を科学することの他に、日本禁煙科学会の最近の動きとしては、禁煙教育推進賞を新設しました。社会教育、学校教育を含めて、禁煙についてしっかり普及啓発を行った個人や団体を顕彰するもので、2021年は、日本で最初に県単位での学校敷地内禁煙化を実施し、その後も協力して喫煙防止教育を実施してきた「和歌山県教育委員会」「和歌山市教育委員会」「和歌山禁煙教育ボランティアの会」「たばこ問題を考える会・和歌山」の4団体が受賞されました。このように、個人、団体、行政など禁煙に取り組む方々の後押しとなるような活動もしていきたいと思っています。
禁煙には方法がある
最後に、読者へのメッセージをお願いいたします。
禁煙外来を始めて28年が経ちました。その間に健康増進法ができ、「受動喫煙」という言葉や概念も広く浸透しました。治療薬も開発されて禁煙は単に我慢するものではないという理解も広まり、非常に多くの先生方が禁煙に心を向けてくださるようになりました。薬局でニコチンパッチが販売されるようになったことで、薬剤師の先生方も禁煙支援に熱心に取り組んでくださっています。また医療現場だけでなく、企業での禁煙推進や学校での教育も非常に重要で、多くの皆さまが禁煙について学び、取り組んでくださっています。依存症との闘いは並大抵ではありませんが、多くの方々が心を合わせて禁煙を広めてくださったことで禁煙は大きく進みました。感謝の気持ちでいっぱいです。
一方で、禁煙に関する多くの情報を一般の方にまだ十分に共有できていないことに忸怩たる思いを抱えています。コロナ対応で皆さんお忙しくされているかと思いますが、ぜひ禁煙・喫煙に関する知識を周りの人に伝えていただければと思います。(了)