禁煙治療の新時代を切り開く

毎年5月31日は、WHO(世界保健機関)が定めた「世界禁煙デー」です。また、厚生労働省は毎年5月31日~6月6日を「禁煙週間」と定め、禁煙や受動喫煙防止の普及啓発を進めています。わが国における禁煙治療の草分けである髙橋裕子先生(京都大学大学院医学研究科特任教授)は、禁煙には我慢という精神論ではなく、医療による支援が必要不可欠と説きます。1994年に日本で初めて禁煙外来を開設し、全国の禁煙成功者と禁煙したい人たちとをつないでサポートする「インターネット禁煙マラソン」を主宰するなど精力的に禁煙治療・支援に取り組む髙橋先生に、これまでの活動を振り返りながら、禁煙を巡る社会情勢の変化や禁煙を成功に導く秘訣などについてお話を伺いました。

コロナ禍と薬剤不足で喫煙率が上昇

髙橋裕子先生

髙橋裕子先生

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行が長引くなか、禁煙への取り組みに変化はみられるのでしょうか。

当初は、「ステイホーム」になったことで、家族や子どもたちを気遣って禁煙する人が増えるという予想もありました。しかし実際には、全国的に喫煙率は下げ止まりから上昇に転じています。
喫煙率が高い年代は、30代後半~50代のいわゆるワーキングエイジです。この世代がコロナ禍によって「ステイホーム」に入ったわけですが、会社では吸えないけれども家でなら吸える、部屋にこもって吸えばよい、あるいは加熱式タバコにすれば害はないといったさまざまな誤解が重なりました。その結果、これまで右肩下がりだった喫煙率は、ここにきて上昇傾向がみられるようになりました。

喫煙率に上昇傾向がみられるようになったのは、COVID-19によるステイホームの増加が原因とのことですが、原因はそれだけなのでしょうか。

実はステイホームの増加以外にも、喫煙率の下降にブレーキをかけていると考えられることがあります。
禁煙治療は、2006年に保険診療が認可され、2008年からは貼り薬のニコチンパッチに加えて内服の禁煙補助薬であるバレニクリンが保険適用されたことで大きく変わりました。内服薬を使用できるようになったことで禁煙治療に携わってくださる医師が格段に増えたのです。ところが、一部ロットで安全基準値を超える発がん性物質が検出されたことで、バレニクリンは2021年6月から出荷停止になってしまいました。ニコチンパッチについても品薄となっており、現在は禁煙外来を休止せざるを得ない医療機関が出てきています。

髙橋裕子先生

禁煙の害と利点をセットで伝える

髙橋先生は、1994年に奈良県内にて日本で初めて禁煙外来を開設されましたが、どのような経緯で開設に至ったのでしょうか。

当時は、診察室や病室でタバコが吸えましたし、吸入用の酸素にタバコの火が引火したなんてこともままあった時代です。そのような時代に私が禁煙外来を始めるきっかけとなったのは、ある患者さんとの出会いがあったからです。
その患者さんは屋根職人さんでした。タバコが体に悪いという知識は既にその時代にもありましたが、私が医師としてやっていたことは、患者さんに「タバコはやめた方がいいですよ」と言う程度でした。そんなある日、その患者さんが禁煙に成功したというので、どうやって成功したのかと聞いてみたところ、タバコを吸いたくなったら代わりに魔法瓶に詰めた氷水を飲んだのだと教えてくれました。当時、タバコをやめるには我慢するというのが常識だったのですが、その患者さんのお話を聞き、禁煙を成功させるには「方法」があるのだと気付かせていただきました。
無口な患者さんだったのですが、「禁煙に成功したら仕事の能率が上がるようになった」と話してくれました。屋根職人さんの仕事は、瓦で葺いていない裸の屋根の上に瓦を置く仕事です。万が一、タバコの火が落ちると家が燃えてしまう可能性がありますので、絶対に屋根の上では吸えない。屋根から降りて喫煙するわけです。大きな屋根になると昇り降りで時間がかかりますから、禁煙したことで仕事の能率が上がったわけです。禁煙成功後は性格が明るくなり、快活にお話されるようになりました。それを見て、禁煙したら人間が変わるのだなとつくづく思いました。
その人が出て行った次に診察室に入ってきたのは、十二指腸潰瘍の患者さんでした。さっそくその人に屋根職人さんに教えていただいた氷水を飲む方法や、仕事の能率が上がったとの話をお話ししたところ、その方も禁煙に成功しました。当時はまだ良い治療薬が無かった時代でしたが、禁煙後には十二指腸潰瘍も治癒し、非常に感謝されました。
こうした経験から、禁煙についてお話しする際には禁煙の方法と禁煙したらどんなに良いことがあるかの2点をセットでお話しするようにしました。すると、次々と禁煙に成功される方が現れ、1994年に禁煙外来として専門外来を開設することになりました。禁煙外来の存在は口コミで広がり、年間約600人が全国から受診してくださいました。

髙橋裕子先生

経験者によるピアサポートで禁煙を後押し

1997年からはインターネットで「禁煙マラソン」も主催されていますが、具体的な活動内容について教えてください。

禁煙外来を開設してから、転換点となる出来事が2つありました。当時、禁煙補助薬はなかったので、氷水を飲んだり体を動かしたりといった認知行動療法が主な介入方法でした。海外の禁煙パンフレットを翻訳して患者さんに渡していたのですが、そのことがある新聞に掲載されたのです。すると、パンフレットを送って欲しいというリクエストが3万3千通も届きました。全国には禁煙できなくて困っている人がこんなにいると衝撃を受けました。
郵送では追いつかないと考え、ホームページをつくってパンフレットを掲載し、自由にお読みいただけるようにしました。ところが次には「パンフレットを見てもタバコがやめられません」というメールが届くようになりました。必要なときに助言を受けられる双方向の仕組みが必要だと思いました。
そこで、メールで禁煙方法や禁煙のメリットなど、禁煙するのに必要な知識を受け取るとともに、禁煙の進捗状況を報告して必要な助言や励ましを受け取ることができる、日本で最初のITサポート健康プログラムである「インターネット禁煙マラソン」を開設しました。ところが、当時はインターネットの黎明期で、1本のメールを送付するにも1時間も操作が必要な時代です。今度は次々と届く進捗状況の報告に返信メールが追い付かない状況になりました。徹夜続きで2カ月のコースを終えたときには私は疲れ果てて、もう二度と禁煙マラソンはしませんと宣言しました。ところが、参加者の人たちからの反応はとても大きなものでした。「この2カ月ほどの楽しい経験は、人生で初めてでした」「高橋先生が送ってくださったメールのおかげで禁煙できました」と次々に書いてこられ、そして「もう疲れて続けられないというなら、次回からは自分たちが、高橋先生が書いてくださったとおりに返信しますから」と言ってくださったのです。こうして、禁煙にチャレンジする人を禁煙した先輩たちが励ますという禁煙マラソンの原型が出来上がりました。「今、どうしても吸いたいです」という訴えには、医師のアドバイスよりも禁煙成功者が書くピアサポートの方がはるかに効力があります。また禁煙するにも助言するにも、喜んで続けるための仕組みが必要です。そうした仕組みづくりも、禁煙マラソンで禁煙した皆さまが構築くださいました。
禁煙マラソンの提供開始から25年、未成年喫煙者のためのコースや大学生のためのコース、妊婦さんのためのコースなどさまざまなコースを提供してきて、今も多くの企業や自治体で用いられています。ITプログラムがこんなに長く続くことはまれだと言われますが、みんなが喜んでボランテイアで支援し合うという仕組みが良かったのかもと思っています。

髙橋裕子先生

吸えない環境づくりと教育が不可欠

禁煙を継続させる秘訣はあるのでしょうか。

禁煙を続けるには、3つのことが必要です。一度禁煙しても、どうしても吸いたいという欲求に駆られるときがあります。そのときにどのように対処したらよいのか、最初から練習しておくことが大切です。禁煙補助薬は禁煙のスタートを助けてくれますが、一生使えるわけではありません。保険が効くのも3カ月です。その3カ月間に、先ほどの話のように氷水を飲んだり体を動かしたりと、自分に合った気を紛らわせる方法を見つけておきます。私たちはこれを「応急処置」と呼んでいます。
2つ目は、禁煙すると仕事の能率が上がる、あるいは家族が喜ぶ、気兼ねして暮らさなくてよくなるなど、利点を見つける習慣を付けることです。この習慣付けの大切さを、私は禁煙に成功した人たちから学びました。
3つ目は、「吸えない環境」です。ネコの前に魚を置いて「食べるな」と言っても無理ですよね。環境のなかには、吸えない環境と同時に、禁煙を応援できる環境が大事です。立場が変わると「あいつ昨日まで吸っていたのに、急に禁煙することにしたなんて偉そうなことを言いやがって」と言われてしまうことがありますが、禁煙マラソンは、禁煙した人が安心して次の人を応援できる仕組みになっています。ダイエットも一緒ですが、応援する側になると簡単には逆戻りしません。それと一緒で、タバコを吸わない環境と同時に、禁煙したい人を応援できる環境づくりが重要なのです。

禁煙外来を受診される方や禁煙マラソンに参加される方は、どのような動機で来られる方が多いのでしょうか。

禁煙外来を受診される方は、多くの場合、健康問題が動機になります。一方、禁煙マラソンの参加者は一般の方々です。企業敷地内禁煙や学校敷地内禁煙になったことで、企業単位で参加される方や行政が参加を後押ししてくださることも多いです。敷地内禁煙を施行する際に禁煙マラソンをセットにして紹介してくださるところもあります。やはり、タバコを吸える環境をなくすことが重要なのです。もう一つの大きな動機は、家族からの苦情です。奥さんよりも子どもや孫からの苦情の方が影響力があるようです。

禁煙外来を開設されてから、禁煙を巡る状況はどのように変わってきているとお考えですか。

2018年に健康増進法が改正されて「受動喫煙の防止」が前面に打ち出されたおかげで、企業や官公庁などでは一歩ずつですが受動喫煙防止が進んでいます。禁煙治療は2006年から健康保険が適用されるようになりました。未成年については長い間、健康保険が適用されませんでしたが、2016年4月の診療報酬改定により、未成年についても保険治療が可能になりました。
私は1996年から子どもの禁煙外来をライフワークの一つとしてきました。当時は、各中学校に5~10人喫煙者がいるのは当たり前で、昼休みになるとトイレや学校の裏が喫煙場所になっていました。ところが、2002年頃から子どもの喫煙率は大きく低下し始めました。大きな要因は学校教育です。1989年から中学校と高校で喫煙と健康との関係について指導することが学習指導要領に盛り込まれたのです。
未成年のときにタバコを吸い始めるとその時点から動脈硬化が進むことが明らかになっています。ニコチン依存に陥り、薬物依存につながるゲートウェイドラッグとしてのリスクもあります。子どもたちがタバコを吸うきっかけとならないような環境を整備していくことが大切です。

髙橋裕子先生

後編に続く

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