本人の望む最期を
~変わる終末期医療

超高齢多死社会の到来により、これまでタブー視されていた「死」に対し、医療者と市民の双方に変化の兆しが表れています。本稿では、超高齢多死社会が進むなか、どのような終末期医療が求められるのか、医療・ケア関係者はどのように患者や家族に寄り添っていけばよいのか、日本医学会 前会長の髙久史麿氏に前・後編にわたりお話を伺いました。
後編では、ご自身のエピソードや死生観も交え、終末期医療の在り方に関する私見をお話しいただきます。

終末期に求められるコミュニケーション力と緩和ケア

髙久 史麿 先生

前編では、患者の希望する終末期医療を実現するには、アドバンス・ケア・プランニング(advance care planning:ACP)のような意思決定支援のプロセスを尽くすことが大切であること、今後は病院以外の場での看取りも増えると予想されることから、地域のかかりつけ医の役割が重要になるというお話を伺いました。病院以外の場での最期ということでは、タレントの大橋巨泉さんが住み慣れた家で最期を迎えたいと希望したものの、退院して自宅に戻って早々、在宅医に「どこで死にたいですか」と聞かれ、生きる気力を失ったというTV番組がありました。

よく知らない医師に「どこで死にたいですか」といきなり聞かれたら、普通はショックを受けますよね。言い方がよくなかったのかもしれませんし、そこまでの話題に至るプロセスに問題があったのかもしれません。患者の意思を尊重し、尊厳ある終末期を支えるには、本人、家族とよく相談する必要があり、そのためにコミュニケーションを取ることが重要になります。ただ、こうしたコミュニケーションの技術が医学教育のなかで教えられる機会が少ないというのが実情です。現実的には、研修医として患者さんを診るようになってから勉強していく必要があります。研修医教育においてもう一つ不可欠なのが、緩和ケアに関する教育です。がんに限らず、神経疾患などのあらゆる疾患に緩和ケアが必要になります。ですから、専門領域にかかわらず、緩和ケアの教育に力を入れるべきだと考えています。

先生が座長としてまとめられた『超高齢社会と終末期医療』(日本医師会生命倫理懇談会、2017年11月)では、「本人の意思決定とその支援」と並んで「終末期のケアの質」が大きな柱となっており、緩和ケアの充実が終末期医療におけるケアの質にかかわる大きな要素として取り上げられています。

ご存じのように痛みには、肉体的な痛み、精神的な痛み、社会的な痛み、スピリチュアルな痛みと、さまざまな痛みがあります。肉体的苦痛は麻薬や精神安定剤、睡眠薬などの薬剤である程度取り除くことができますが、スピリチュアルな痛みは薬で取り除くことはできません。スピリチュアルケアと宗教的ケアは別ですが、特定の宗教を前提としなくても、絶望的な状況に置かれている人に寄り添い、話を聞くだけで支えになることがあります。東日本大震災では「臨床宗教師」の活動が注目されました。臨床宗教師は宗教活動や布教活動を行うわけではなく、医療・福祉関係者とチームを組んで被災者や遺族の悲しみに寄り添い、生きる力を育むケアを行います。『超高齢社会と終末期医療』の報告書でも指摘しているように、これまでは身体的苦痛を取り除くことが中心でしたが、終末期医療におけるケアの質という観点から、今後は緩和ケア、なかでもスピリチュアルケアの重要性が増していくと考えられます。

髙久 史麿 先生

患者・家族とともに看取り文化を取り戻す

1970年代から病院死と在宅死の割合が逆転し、核家族化が進むなか、現在では在宅で看取る経験が少なくなり、看取り文化そのものが廃れてきたとされます。

そうですね。独居高齢者も多いし、家族と離れて住んでいたり、同居している家族も高齢化していたりすると、病院や老健施設などに入居せざるを得ないケースも少なくないでしょう。実は私自身も家族を看取ったことはありません。両親とも、それぞれ病院と老健施設で亡くなりました。私の時代でさえもそうですから、現在では、在宅で家族を看取った経験がある医療スタッフはもっと少ないでしょうね。

看取り文化を取り戻すには、どのような最期を迎えたいかという死の在り方について、患者さんや家族が心の準備をしていくことも必要になりますね。

やはり医療チーム、特にかかりつけ医が普段から患者さんや家族とよく話し合うことが大切です。患者さんの意思を確認するのが難しい場合には、現実的には家族と話し合うことになると思います。

深刻な病状になってから話をするのではなく、外来に通院してくる元気なうちから、時間をかけて関係性を築き、診療を通して患者さんの価値観を知ったり、話をしていくことが大切ということですね。しかし、看取る経験がないと死に対する恐怖も大きくなるかと思いますが、いかがでしょうか。

先ほどスピリチュアルケアについて触れましたが、死に対する考え方や感覚は、宗教とも関係してくるかもしれません。私自身は信じていないのですが、「あの世」があると信じている人は非常に穏やかに亡くなれるようです。私の父親は福島県の会津坂町出身で、京都帝国大学(現 京都大学)に進みました。母親は九州出身で、当時としては珍しく京都女子高等専門学校(現 京都女子大学)を卒業しました。母が亡くなる前に私自身の生い立ちを聞き、記録する機会があったのですが、両親のなれ初めについては聞けずじまいでした。本当に死後の世界があるとするなら、両親がどのように出会い、どのように結婚したのかを聞いてみたいと思っています。

信仰心を持っている人の方が穏やかに亡くなるというのは、とても興味深いお話です。一方、看取る側の医療従事者への心のケアについても、最近では終末期ケアを振り返り、医療・ケア従事者の精神的負担を軽減するデス・カンファレンスなどを行う施設も増えているようですね。

髙久 史麿 先生

死は極めて個人的なテーマ
普段からのコミュニケーションが鍵

終末期に際しては、本人の意思を尊重することはもちろんですが、遺される家族を軸に据えた看取りを行うことも重要という指摘もあります。

家族としては、延命してあげたいという気持ちがあるかもしれません。それでも、優先すべきは患者さんの意思であり、最大限守られるべきです。「年金が受給できなくなると困るから」など、さまざまな社会的事情があるのも承知していますし、実際に現場でも苦慮されていると思います。しかし、そうした理由で家族の意向が優先され、患者さんの意思に反して延命治療を行うことは避けるべきです。ですから、本人の意識がはっきりしている間に、本人、そして家族とよく話をしていくことが大切になります。

ACPにしても、死を迎える心の準備にしても、医師が普段から患者さんと話し合い、コミュニケーションを図っていくことが大切ということですね。

その通りです。医療というのはやはり、医師と患者の間に信頼関係がなければ成り立ちません。患者さんは自分の体を任せるわけですからね。診察の際に患者の顔を見ずにコンピュータばかり見ていては、信頼関係は築けません。私が若い時には電子カルテなどありませんでしたから、家族ともずいぶん親しくなりました。患者の息子さんの結婚式の仲人をしたり、東大病院で診療していた頃は、退院前に「私は転んでもただでは起きない」といって「先生に病院をつくってあげるから、私の娘をもらいなさい」という患者さんもいました(笑)。

死という極めて個人的な問題を扱う以上、日ごろからのお付き合い、コミュニケーションが鍵になるということですね。

そうですね。やはり医師と患者、そして家族とのコミュニケーションですよね。私の両親は、亡くなる前に「あまり何もしないでくれ」とは言っていましたが、忙しかったこともあり、本人の意思を聞く機会はありませんでした。主治医には、息子である私から「自然に任せてほしい」とお願いし、最期に立ち会うこともできませんでした。母は病院で亡くなり、父は認知症になっていたこともあり最期は東京都老人医療センター(現 東京都健康長寿医療センター) で亡くなりました。自らの死の在り方について、本人の希望や意思を聞くというのは、そう簡単なことではありません。70歳でまだ後期高齢者にもなっていなければ、そういう話題を嫌がる人もいます。ですから本人の意思決定を支え、それを尊重した終末期医療を提供していくには、患者さんとの信頼関係を築いた上で、時間をかけてじっくりと話をしていく必要があります。

髙久 史麿 先生

本人の意思が最大限守られ
尊重される終末期医療を目指して

まだ先のことかと思いますが、先生ご自身はご自分の意思を家族と話し合われていますか。

私の息子は医師なのですが、まだ話はしていません。財産については書面で残していますが、リビングウィルは書いていません。ですが、ある特定の疾患になって入院したときには書くつもりでいます。今のところ幸い、まだ入院するような状況ではないのですが。

最終的に、先生ご自身は延命治療についてはどうお考えになりますか。

私は望みません。私自身は、延命治療はしてもらいたくないとはっきりと思っています。80年、90年生きた人がひと月ぐらい長く生きても、お金がかかるばかりで意味がないと思います。苦しい思いをしてまで延命するのではなく、穏やかに死んだ方がいい。ただし、若い人であれば、家族や未来もあるでしょうから、また事情は違うと思います。やはりケース・バイ・ケースで、個々の患者さんの意思を尊重していくことが重要なのだと思います。

最後に、本日のテーマである「超高齢社会と終末期医療」に関して、読者へのメッセージをお願いいたします。

穏やかな終末期を迎えるには、リビングウィルなどの形ではっきりと意思を表明することが大切です。医療者にはまず、重篤な病気になって入院したときなどには率先して自らの意思を周囲に伝える努力をしてほしいですね。患者さんの意思が最大限守られ、優先されるような終末期医療の形をつくっていってほしいと願っています。

本日はお忙しいところ、ありがとうございました。(了)

髙久 史麿 先生

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