超高齢多死社会の
終末期医療について考える
世界に類を見ない高齢化が進むと同時に年間約130万人が亡くなる「超高齢多死社会」の到来により、終末期医療に対する関心が高まっています。医療界では2000年代に入り、さまざまな学会が終末期医療の在り方についてガイドラインなどで取り上げるようになったほか、2018年3月には厚生労働省も終末期医療に関するガイドラインを11年ぶりに改訂しました。一方、市民の間でも「終活」に代表されるように、自らの人生の締めくくりに対する関心が高まるなど、これまでタブー視されていた死に対し、医療者と市民の双方に変化の兆しが表れています。超高齢多死社会においてはどのような終末期医療が求められるのか、医療・ケア関係者はどのように患者や家族に寄り添っていけばよいのか――。
日本医学会 前会長の髙久史麿氏に、前編では終末期医療を巡る現状や課題について、後編ではご自身の死生観も交え、終末期医療の在り方に関する私見をお話しいただきました。
「本人の意思決定とその支援」が大きな論点に
まず、現在の高齢者医療における終末期医療をめぐる現状や問題点から伺っていきたいと思います。先生は2017年、『超高齢社会と終末期医療』(日本医師会生命倫理懇談会)の取りまとめに当たられましたが、日本医師会はこれまでも終末期医療に関してさまざまな提言をされてきましたね。
日本医師会では、1990年代前半から終末期医療に関する議論を重ねてきました。過去の報告書では、終末期医療を「死に至るまでの時間が限られていることを考慮に入れる必要性のある状況下における医療」として、「従来の延命至上主義からの脱却」「多職種による医療・ケアチーム、家族を含めた関係者の合意を目指す努力とプロセスの重要性」「尊厳死法の法制化について」――などを論点として検討してきました。直近では「超高齢社会と終末期医療」について検討を行い、2017年11月に報告書を取りまとめました(『超高齢社会と終末期医療』日本医師会生命倫理懇談会、2017年11月)。
この30年間で終末期医療を巡る状況や論点は大きく変わってきているかと思いますが、現在、終末期に関して医療現場で最も困っているのはどのような点でしょうか。
終末期医療に関して医療現場で問題となるのが、本人の意思が分からず、どのような選択をすべきか判断に困る場合です。認知症患者や身寄りがない独居高齢者が増加すると、こうした困難例は今後増えていくと予想されます。家族がいる人でも、本人の意思と家族の意向が一致しなかったり、家庭の経済状態を理由とした年金受給などの社会的背景から必ずしも本人の意思が尊重されないケースも見受けられます。そうしたなか、今回まとめた『超高齢社会と終末期医療』では、本人の意思決定とその支援を大きな論点として取り上げました。終末期医療においては、あくまでも本人の意思を最大限に尊重し、一定の意思決定能力があるうちに意思決定を支援していくことが重要になるからです。
多職種によるアドバンス・ケア・プランニング(ACP)
本人の意思を尊重するには、その意思が事前に明確に示されている必要がありますが、具体的にはどのような支援が必要なのでしょうか。
延命治療をどこまで行うかについては、リビングウィルで自発的に意思表明をする方法もありますが、なかなか普及していません。海外では近年、医療者がイニシアティブを取り、終末期に望む医療やケアの方針や、どのような生き方をしたいかなどについて、本人や家族も交えて繰り返し話し合う「アドバンス・ケア・プランニング(advance care planning:ACP)」を作成する動きが広まっており、日本でも取り入れていくことが重要だと考えています。厚生労働省も2018年に改訂した『人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン』において、ACPの取り組みを後押ししています。
家族のいない独居高齢者や在宅患者の場合は、どのような支援が求められるとお考えですか。
独居高齢者については、医療やケアにかかわる関係者が、人生や価値観について情報収集を行い、意思決定能力があるうちに支援を行う必要があります。すでに意思決定能力を失っている場合には本人をよく知る人に尋ねたり、できる限り本人の意思を汲み取る努力が求められます。在宅患者の場合は、介護を担う家族を含め、多職種が連携して繰り返しACPを行っていくことが、尊厳ある生、尊厳ある死の実現につながるということを『超高齢社会と終末期医療』で提言しています。いずれも地域包括ケアシステムの中核を担う、かかりつけ医の役割が鍵になると考えられます。
かかりつけ医が患者さんとのコミュニケーションを図るなかで、日頃から終末期をどのように過ごしたいかという話をしていくことが、意思決定支援の第一歩になりそうですね。
そうですね。近年は在宅医療が推進され、病院ではなく在宅で亡くなる人数が増えてきていますが、その場合、かかりつけ医が看取ることになります。緊急入院時などにも患者さんの意思を尊重した終末期医療が提供できるよう、かかりつけ医と病院との連携を強化していく必要があると思います。
がん、急性期、老衰・認知症など、人生の最期に至る軌跡は多様です。これらの多様なケースに、かかりつけ医はどのように対応したら良いのでしょうか。
いずれのケースにおいても、本人の意思を尊重することが最大の原則です。日本では、安楽死、あるいは医師による自殺ほう助(physician-assisted suicide)は法律的に許されていません。この2点が原則ですが、本人の意思をどのように生かしていくかは個々のケースでまったく異なるため、実際には終末期医療に関するガイドラインに即しながら、本人の性格や人生観、経済的事情、育った環境、家族との関係、家庭の事情、宗教、本人の抱える疾病・体力的な問題などを踏まえた上で話し合いを繰り返し、ケース・バイ・ケースで対応していくことが現実的な対応になるかと思います。
病気の進行とともに患者さんの意思は変わることもあるので、心身の状態や状況の変化に応じて繰り返し話し合いを行い、記録に残していくことが大切ということですね。
求められるのはプロセスを尽くした意思決定支援
わが国で、安楽死や尊厳死に関する法制化が進んでいないのはどのような背景からでしょうか。
安楽死を巡っては、2001年にオランダで医師による自殺ほう助を含む、いわゆる積極的安楽死が合法化された後、欧州で法制化の動きが進みました。米国でも1997年に医師による自殺ほう助が法律で認められるなど、各国で法制化が進んでいます。日本でも、1990年代から2000年代にかけて末期患者の人工呼吸器を外した医師の行為が法的に問われたり、社会問題とされた事案が相次いだことから、患者の事前指示に基づく生命維持治療の差し控えや中止を認めるいわゆる「尊厳死法」を法制化する動きがありました。しかし、超党派の議員連盟によるこの法案は議論がまとまらず、結局、法制化には至りませんでした。
一方、終末期医療に関しては、厚生労働省や日本医師会をはじめ、日本老年医学会や日本救急医学会、日本呼吸器学会など、さまざまな学会がガイドラインや報告書を作成、公表しています。
2007年に、厚生労働省は『終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン』(現在は『人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン』と名称変更)を策定しました。同ガイドラインでは、医療者が1人で判断せず、多職種による医療・ケアチームによって終末期医療について判断すること、患者の意思を尊重するとともに家族とも十分に話し合いを重ねて合意を得ること、緩和ケアの充実を図ることなどが盛り込まれています。2008年には日本医師会もガイドラインを発表し、その後、関連学会からも同様のガイドラインが多数作成、公表されました。
日本医師会としては、尊厳死法の法制化には反対の立場を取られていますが、それはなぜしょうか。
過剰に適用される恐れがぬぐい切れないことから、法制化には慎重な立場を取っています。むしろ日本医師会では、日本医師会生命倫理懇談会の2014年報告書に記されたように、終末期医療にかかわる関連学会や関係機関が作成したガイドラインを遵守することで法的な免責を受けられるのが望ましいとの立場で、『超高齢社会と終末期医療』でも再度その旨を明記しました。
よりよい終末期医療の実現に向けて
平成30年度診療報酬改定では本人の意思を尊重した終末期医療への評価が拡充し、ターミナルケアに関する診療報酬が加算されましたが、『人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン』等を踏まえた対応を算定要件とするなど、ACPのように話し合いのプロセスを尽くすことの重要性が示されています。忙しい日常診療の合間にこうした話し合いを何度も繰り返すのは難しいのではないかと思いますが、ACPを普及させるには何が必要とお考えですか。
終末期医療をよりよいものにしていくには、やはり医師に対する教育が不可欠だと思うのですが、終末期医療の問題は医学部ではあまり扱われていません。しかし今後は、病院であれば、ある程度の重症患者や緩和ケア病棟への入院患者に対しては、入院時に本人または家族にリビングウィルやAD、ACPの存在を確認したり、本人や家族の意向を確かめたりと、意思を尊重するルールや仕組みを作っていく必要があります。開業医の先生方であれば、在宅医療を行う場合には日常診療のなかでACPを進めていくなど、普段のコミュニケーションのなかで患者さんの希望など意思を確認する行為自体をルーティン化していくことが、ACPを普及させる第一歩になるのではないかと思います。
医療・ケア関係者だけではなく、患者や市民もどのような終末期医療・ケアを受けたいか、どのような最期を迎えたいか、考えを深めていく必要がありそうですね。
そのためには、メディアの役割は大きいと考えています。例えば、芸能人などの有名な方が亡くなったときには、病名やお通夜の参列者を伝えるだけではなく、最期にどのような亡くなり方をしたかということもぜひ伝えて欲しいです。2017年に105歳で亡くなった日野原重明先生は、ご本人が延命治療を希望されず、自然死に近い穏やかな最期を迎えられたそうです。そういった死の迎え方もあるのだということをメディアが伝えるだけで、人々が自分の終末期を考えるきっかけになると思います。
(後編に続く)