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世界旅行と感染症

オセアニア オーストラリア・クイーンズランドでの生活から

馬場尚志

感染症道場 Vol.2 No.2, 39-42, 2013

はじめに
 オセアニアと呼ばれる地域には,南太平洋の島々など多くの国があり,気候も文化もさまざまで,とても一括りには語れない。今回は,日本人もよく訪れる観光地ゴールドコーストやケアンズがあるオーストラリア・クイーンズランド州について筆者の留学時の経験をもとに紹介したい。

豊かな自然と隠れた危険

 どこまでも青い空,透き通るような澄んだ海,降り注ぐ太陽の光。冬の金沢,真っ白な風景(執筆時は1月)のなかで当時を思い出すと,なにやら夢のようにすら感じられる。
 筆者が,クイーンズランド州の州都ブリスベンにあるクイーンズランド大学で研究する機会を得たのは,2008年10月から2010年にかけてである。臨床医としてではなく客員研究員としての立場であったが,感染症科や臨床検査医とのミーティングの他,毎週地域の病院の持ち回りで開催されるもの,全州の州立病院をイントラネットで結び開かれるものなどさまざまな症例検討会に参加し,多くの症例に触れることができた。そのなかの1例。
「生来健康な男児に頭痛と発熱がみられ,3日後には意識障害が出現し来院した。発症前日までは自宅のプールで泳ぐなど元気であった。兄も数年前に原因不明の脳症で死亡している」
 日本では自宅にプールなどめったにないのだが,オーストラリアではそれほど珍しいことではない。わが家の子供たちも「友達の誕生日パーティーに行き,その家のプールで泳いできた」なんていうこともあった。
 兄も原因不明の死となると,「児童虐待の可能性は?」などと一瞬考えたが,髄液検査をしたところNaegleria fowleriが確認されたという。隣にいたマレーシア人研究者が,答えを聞いて大きく頷いた。この病原体をよく知らなかった筆者は少々動揺したが,調べてみると髄膜脳炎の原因となるアメーバで,湖や河川のほか水質管理が不十分なプールなどに生息している可能性があり1)2),その名は発見者であるオーストラリア・アデレードの医師M. Fowlerにちなんで付けられたという3)。自分の知識不足を恥じる一方で,友達の家でプールに入ったという子供たちが少し心配になった。もちろん非常にまれな疾患ではあるが,致死率はきわめて高い。筆者は,たとえ見た目に水がきれいでも,大自然にうかれて川や湖などで泳ぐことは決してしまいと心に決めた。

オーストラリアでのインフルエンザ

 筆者がオーストラリアに滞在していた間の最も大きな感染症に関する出来事といえば,やはり2009年のパンデミックインフルエンザであろう。その年の4月にメキシコおよび米国で確認されたパンデミックインフルエンザは,北半球より先に冬季を迎えた南半球のオーストラリアを直撃した。しかし,初期には子供たちの学校などでやや過剰な対応が取られることもあったが,それなりにインフルエンザ関連死がマスコミに取り上げられるなかでも街の様子はほとんど普段と変わりなかった。マスクをした人も街では皆無といってよく,それに慣れてしまうと全員マスクをつけ歩いている日本人観光客のグループに出会ったときには,筆者でさえ少し怖さにも似た違和感を覚えたほどである。
 海外において現地の人と良好なコミュニケーションをとるには予防目的のマスクは“原則禁忌”である。ただ,インフルエンザは毎年,それも世界中どこででも流行する。楽しい旅行にするためにも,流行期に訪れる場合には手洗いを意識するなど十分な注意が必要である。忘れてならないのは,南半球は季節が逆で,日本人が多く旅行する8月は彼の地では真冬であり,インフルエンザシーズン真っ只中なのである。

ブリスベン最大の祭りと感染症

 8月には多くの市民が楽しみにしているブリスベン最大の祭り,Ekkaが開催される。正式にはRoyal Queensland Showと呼ばれるこの祭りは,移動遊園地が来るなど,いかにも“外国のフェスティバル”といった雰囲気で,われわれ家族も滞在中に一度は行きたいと考えていた。しかし,地元の人の一部からは,「子供を連れて行ってはいけない祭り」とも聞かされた。さらに話を聞くと,もともと農業祭として始まったことから,今でも家畜動物などの展示ブースも多く,どうやら昔から動物由来の感染なども恐れられているようだ。観光客向けのツアーでも動物と触れあう機会を売りにしたものもあるが,動物に触れた後にはしっかり手洗いをする必要がある。われわれはというと,折しもパンデミックインフルエンザが流行していた2009年であったが,子供たちに“感染予防のグローバルスタンダード”である手洗いをしっかり指導したうえで会場の門をくぐった。結局,何事もなく楽しい1日を過ごすことができ,本当に楽しい思い出の1つとして,今でも鮮明に記憶している。
 後で調べると,毎年開催されるEkkaが中止されたのはこれまで2回だけという。1度は,前年から始まった日本との太平洋戦争のため1942年に,もう1度は猛威をふるったスペイン風邪のため1919年に。100年以上続いているこの祭りの歴史においても,感染症は戦争とともに傷痕を残しているのである。

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