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文学にみる病いと老い

第69回 「老いの歌―新しく生きる時間へ」小高 賢

長井苑子泉孝英

Pharma Medica Vol.30 No.6, 138-142, 2012

岩波新書(新赤版)1327
岩波書店,2011年

短歌は老いの頼もしい伴侶!
ますます伸びやかに余生ではない,新たな生へ
(岩波新書版帯カバー表紙より引用)

 高齢社会*1を迎えて,私たちの外来診察の患者さんも,60歳を越えている人たちが多い。大学病院時代からずっと継続して診療してきている多くの患者さんは,着実に年を重ねて,「え,あの人がもう59歳とか,60歳を越えたとかというひそかなおどろき」を日々,カルテの表紙に見出している。70歳,80歳の患者さんも多い。
 一人ひとりの日常生活とその中での愁訴*2や「つぶやき*3」を,毎日毎日うかがいながら,背景にある病気にも目配せをして,最新の治療指針,あるいは自分の臨床経験からの判断過程を頭の中で繰り返しながら,患者さんのなまの声を聞きとめていくことに,大きな関心が持たれることである。
 私が40歳前後の時期,短歌*4をすこし自己流で作って楽しんだ時期があった。そのころ,地方新聞に「老い雑記*5」という短文のエッセーを32回くらい毎週日曜日に掲載させてもらったこともあった。そのころには,老いの実感は,両親や患者さんの観察から得たものであった。「「脳死とはまだ暖かいものですね」回診のわれにその妻の言う」という病棟経験での短歌が朝日歌壇*6に採用されたことがある。俵万智*7の「わたしたちのサラダ記念日」に,「飾るにはふさわしからぬ日々なれど,今朝はビルマの碧き指輪す」という歌を採用されたことも,なつかしい思い出である。しかし,そのころは,詠う自分はまだ若く,歌の中には,自分の老いはいささかも詠われていなかった。今,わたしは短歌を作っていない。しかし,年齢を重ねて,加齢現象*8を実感している。
 父を見送り,母95歳の晩年の日常と接しつつも,自分のこれからの老いの加速にどのように対応できていくのかという,やはり,不安を抱えて生きているわけである。これは,何人もの作家たちが書いているように,自分にとっては,未知の時間であり,すべてが,新しい体験である。両親や患者さんの老いをつぶさに見てきた学習効果*9が果たしてあるのだろうかである。
 さらに,高齢者の一部に確実におこってくる認知症*10の問題。このシリーズで,「スロー・グッバイ*11」という痴呆症の妻を19年間介護した内藤定一さんの本を紹介したことがある。「痴呆を生きるということ*12」という小澤勲先生の本では,認知症の中核症状*13は類似しているが,周辺症状*13は,その人の生き様によって多様であるということであった。
 認知症でない老人あるいは老齢期を生き続ける人たちが,それぞれ,老いの時期,時間をどのように感じて,どのような歌を作っているのかということは,症例報告(患者の記録)をあれこれ見るような興味をそそられることである。「五七五七七」の31文字に結実できないでいる人たちの数のほうがずっと多いことも事実であり,作歌する人口が,それ以外の老いを代弁しているかどうかの保証はない。しかし,それでも多くの老いの表現があるだろう。
 今回紹介する「老いの歌」の著者も,認知症になった母の姿から,『長年,人間として生きてきたあり方が転換するのではないか。違う世界の存在に変化するのではないか』ということを感じて,作者が老いを短歌によって対象化しようと試みていることに着目している。

老いの時代へ
 「老いの時代へ」というタイトルの第一章では,まず,百歳まで生きた歌人土屋文明*14の歌が紹介されている。高齢から生じる身体感覚が表現されている。
九十三の手足はかう重いものなのか思はざりき労らざりき過ぎぬ』,
今朝の足は昨日の足にあらざるか立ちて一二歩すなはち転ぶ』。
一方で,文明は自分の老いを諧謔*15をまじえて表現するという精神の力を維持している。
老いてなほ気どりて来るは我のみか白髪頭にデニム*16のいで立ち』。
 このような超高齢者の作品は,啄木*17も子規*18も体験できなかった時間を詠いこんでいると著者は強調している。
 70歳で亡くなった斉藤茂吉*19は,晩年*20の歌に,著者のいう『底の抜けたユーモア』を含んでいるという。『税務署*21へ届けに行かむ道すがら馬に逢ひたりあゝ馬のかほ』などの一連のおかしみをもった歌を作っている。これらの一連の歌は,老いの歌として眺めると,思いもかけない情報を示しているのかもしれない。
 しかし,女性の短歌では,老いをまともに詠うことを嫌う人のほうが多いとも著者はいう。斎藤史*22は例外的な女流歌人で,自分の老いを積極的に主題化している。彼女は93歳まで生きて,しっかりと歌を作った。著者は,斎藤の作品は,『壮年時と異なった生命力と,感覚や認識のあることも知る。斎藤によって教えられる初めての老いである。高齢の自分を鮮やかに対象化した作品だ』と評価している。
ぐじやぐじやのおじや*23なんどを朝餉*24とし何で残世が美しからう』,
身の内の悪細胞にもの申す いつまで御一緒をするのでしようか
などの歌がある。著者は,『枯淡*25とか円熟*26ではない勁い老い』といっている。
 別の女流歌人,宮英子*27は90歳を超えて海外旅行もできる元気な老人である。夫の死後も自分の環境・状況を楽しんでいる。
よるべなき心細さよ電話してみようか。いないな乞ふな求むるな』,
寒ければ早う寝ようと言ふひとなし雪降るならむ夜半二時すぎ
などと詠っている。
 このように老いと関連して想像できる状況を探すことは簡単であるが,著者は,多くの歌を渉猟*28する中で,『実際の行動によって高齢社会の常識はつぎつぎと覆っている。老いは今や個性の時代に入ってきている』という。「五七五七七」という定型が,自己表現しやすいものであり,多くの老人が自分の人生をていねいに表現し,作者はまた読者でもあるという構造がさらに多くの短歌人口を生んでいくのではないかと考察している。

老いの百景
 「老いの百景」と題された第二章では,老いの時間がもたらす身体的不具合,病気,労働,食などの多様な側面についての短歌が紹介されていく。
 身体感覚についての作品は,これからももっと詠まれていくにちがいない,『短歌の新しい素材対象として』と,著者は言っている。
階段にも風呂にも手洗ひにも手摺(てすり)をつけ用がふえたり右手左手
とか,
階段の昇りは膝に障りなし「ワタシクダラナイヒト降(くだ)り難儀す
など,自己をユーモアをもって眺めている歌においても,老いからくる身体不具合はきびしいものがある。
 病気と老いの歌も切実である。検査をうけるつらさは,老いの身のほうがきついであろう。
いくたびも機械呑まさるるをかしさよわが地獄*29絵のはじまりとせむ』。
 しかし,このごろは癌も告知され治療され,けっこう延命できているのも事実である。患者となった側にも余裕がうまれる。
抗がん剤どちらがいいか母の問うまるでブラウス選ぶみたいに
という歌もある。
 老いの時間の中でも活動性が維持され,充実した歌がだされているのは,農をなんらかの形でやれている人たちだという。効率化を要求される社会のなかで,高齢者が自分のペースで働ける仕事であるという。しかも短歌をつくって投稿している年齢層は80歳以上が多いという。
八十三歳告げども鍬を振る弾む想ひは人には告げず
と心の張りが感じられる。さらに,
百姓に定年はなし汗かいて塩にまみれて今日も梅干す
を作った人は90歳を越えているという。
 それでも老いの時間は,
わが齢九十四歳となりたれば幼のごとくぬり絵などする
というような日常が連綿*30と続く。老いの年齢への自覚は,壮年のそれとはあきらかに違う。
年齢欄に九十一歳と記す一の字がなぜか新鮮二度とは来まい』,
しかし,
百歳になるのがどんな意義があるのか問う者がいる 私だよ
でもある。
 著者のいう,老いは『時間を費やすのでもなく,活用するのでもなく,時間そのものを生きている』ので,より時間が意識されているのだろうと。
 老いの歌で,なんといっても豊饒なほどに多様な領域は,老いの心,感覚を歌っている領域のようである。老いのユーモア,孤独感,ストレス,エロス,戦争の記憶,残しておきたい記憶と想い,家族,介護などなどである。
 これらの作品からは,従来の短歌の名作,文学性というしばりとは別に,老いという『素材・対象のおもしろさだけではない。発想から,ものごとの把握まで,誰も経験しなかった新しい世界がそこに生まれているのではないか』と,著者は,老いの短歌の蓄積が,1300年以上続いた短歌のフロンティアとして期待できるとしている。医学的にみても,多くの作品から,高齢者への医療,介護にとって,優先順位をもって対応しなければならないものを把握できる資料となるかもしれない。短歌も作れない無言の高齢者人口はもっと多いことも事実ではあるが,老いの短歌がそれらの人たちの想いをも代弁できていないかという検証も必要であろう。
 著者自身が歌人であるために,この本では作歌の姿勢にみる自己の位置づけや,文語*31と口語*32調との役割などを論じている。高齢者の『日常がそのまま定型に繋がっている気分』や,『老い特有の散文的な事実を述べるには,文語定型のハードルはかなり高い』ということで,口語短歌が多様な老いを描き,蓄積されていることを積極的に評価している。
 老いの一般的とも言える風景を中心に選んだいくつかの作品を紹介しておきたい。
ながきながき思い心に重ねつつ老年というさびしき時間
触るるものなべてに違和のきざす日の無口に深む老といふべし
ルージュ濃きナース仰臥のわが顔にもの言わるれば性の残照
老いて今ひろったちさき恋の花有効期限すぎぬまに咲け
自分がゐなくなるとはどういふことなのかそれがどうしてもわからないのだ
栄えゐるのか滅びゐるのかつけ睫毛反るをみなごよわれらが国は
少年兵三人の死を冒頭に悼みて傘寿同期会ひらく
ベッドより降りてよろけて失禁すああ山鳩よしばらく鳴くな
在りし日の母にて現にわが身なり朝の紅茶をゆつくりと飲む
雪ふる音竹のささやき聞く夜は油断ありふと年を取るなり
今日はまた仕事に戻らう黙々と書くといふのをわが盾として
 それぞれの老いの現実,老いない心の実相,をもっと探していくことは,老年期の「人,短歌にあう」とでもいう出会いの楽しみのひとつにしていきたいものである。

 これらの歌には,老いてなおこれまでの人生の人間としての息づかいと,思いもかけずおこってくる老いの印にとまどう心などが,豊かに表現されている。長い個人史を読むことよりもずっと心に訴えてくるものがありそうだ。

 『……は本文中から引用した。

注記

*1 高齢社会(こうれいしゃかい):高齢化率(65歳以上の人口が総人口に占める割合)が7~14%を高齢化社会,14~21%を高齢社会,21%以上を超高齢社会と呼んでいる。
*2 愁訴(しゅうそ):患者が訴える症状
*3 つぶやき:口のなかでぶつぶつ言う/小声でひとりごとを言う。
*4 短歌(たんか):五七五七七の三十
一音から成り立つ歌。
*5 老い雑記(おいざっき):京都新聞平成3年連載。
*6 朝日歌壇(あさひかだん):朝日新聞の短歌の投稿欄。
*7 俵万智(たわら・まち):歌人(1962年生まれ)。1987年発行の第一歌集「サラダ記念日」は280万部のベストセラーになった。
*8 加齢現象(かれいげんしょう):老化現象のこと。細胞の機能低下から起こる臓器の機能低下である。臓器は萎縮し重量は減る。臓器内では,実質細胞の数は減り線維や脂肪に置き換えられる。老化に陥った細胞では,核が萎縮・消失する(細胞死)。この細胞死の過程で異常が生ずると,逆に細胞増殖が起こり癌化がもたらされる。
*9 学習効果(がくしゅうこうか):企業・家計などが生産や投資また消費の経験を累積するにつれて,それらの行動に習熟していき,より効率的な生産方法,技術進歩,購買行動などが実現されること。
*10 認知症(にんちしょう):いったん発達した知能が持続的に低下した状態。
*11 スロー・グッバイ:内藤定一「スロー・グッバイ―内藤定一歌集」,長井苑子:生きつづけるということ―文学にみる病いと老い,322頁,メディカルレビュー社,2004.
*12 痴呆を生きるということ(ちほうをいきるということ):小澤勲「痴呆を生きるということ」,岩波新書,2003.
*13 中核症状(ちゅうかくしょうじょう),周辺症状(しゅうへんしょうじょう):痴呆の症状には,痴呆を示すだれにでもみられる中核症状と,人によって現れ方が全く異なる周辺症状とがある。
*14 土屋文明(つちや・ぶんめい):1890~1990。歌人,群馬県生まれ。東京帝大卒。伊藤左千夫に師事。アララギ派の重鎮。1986年文化勲章。
*15 諧謔(かいぎゃく):人を笑わせる話。冗談。しゃれ。
*16 デニム:素材が綿の厚地綿布。最近ではジーンズのことを指すことが多い。
*17 啄木(たくぼく):石川啄木(1886~1912)。歌人・詩人,岩手県出身。独自の短歌で青春の感傷と失意の生活環境を歌い社会的視野を備えた詩と評論を残した。歌集「一握の砂」「悲しき玩具」などがある。
*18 子規(しき):正岡子規(1867~1902)。俳人・歌人。愛媛県松山市生まれ。
[参考]正岡子規「仰臥漫録」,長井苑子:続・生きつづけるということ―文学にみる病いと老い,19頁,メディカルレビュー社,2009.
*19 斎藤茂吉(さいとう・もきち):1882~1953。歌人・医師。山形県生まれ,北杜夫の父。東京帝大卒。伊藤左千夫に入門,「アララギ」に加わる。1951年文化勲章。歌集「赤光」「あらたま」「白き山」。
*20 晩年(ばんねん):一生の終わりの時期。老年。老後。
*21 税務署(ぜいむしょ):関税などを除いた国税の賦課・徴収を行う国の機関。国税庁の国税局に属する。
*22 斎藤史(さいとう・ふみ):1909~2002。昭和初期の異色の女流歌人。東京市生まれ。[参考]斎藤史,樋口覚「ひたくれなゐの人生」,長井苑子:生きつづけるということ―文学にみる病いと老い,277頁,メディカルレビュー社,2004.
*23 おじや:米飯にだし汁と醤油や味噌などの調味料を加えて,魚や野菜などの具材と一緒に再度炊き上げた料理。雑炊。
*24 朝餉(あさげ):朝の食事
*25 枯淡(こたん):俗気,好気がなく,あっさりしている中にも,渋く深いおもむきのあること。
*26 円熟(えんじゅく):経験を積んでかどがとれ,円満になること。
*27 宮英子(みや・えいこ):1917~。歌人,宮城県出身,尾上柴舟に学び,宮柊二と結婚,夫の「コスモス創刊」に参加,2005年「西域更紗」で詩歌文学館賞。
*28 渉猟(しょうりょう):広く読みあさること。
*29 地獄(じごく):罪を犯した者が死後に責め苦を受けるところ。
*30 連綿(れんめん):長く続いて絶えることのないさま。
*31 文語(ぶんご):文字で書かれた言葉の総称。
*32 口語(こうご):話し言葉。

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